生き証人。

流金が予想通り白点病となり少々滅入っていた今週です(苦笑)。
今日は長いですよ。
あのライブハウスの事件当時、私のアスペの友人2人とそうでなければいいね…と話をしました。
彼らが生き証人です。
身近に私のような(苦笑)信頼できる?大人がいれば…と思います。
写真は彼らに会場から声援を送ってもらい準優勝した時の一昨年の県大会時のものです。
本人たちより掲載については了承済みです。

では行きます!
『以下本日のMSN産経ニュースより転用』
「更生に何のメリットあるの? ばからしい」 
“無反省”ライブハウス襲撃犯が語った「法相殺害計画」と「葛藤」
2012.3.3 12:00 (1/5ページ)[法廷から]
絶望が、かつての「残虐少年」を再び凶行に走らせた。東京・渋谷のライブハウスで昨年8月、殺害目的でガソリンをまいたなどとして、殺人予備や現住建造物放火予備の罪に問われた男性被告(24)の公判。
17歳で世間を震撼(しんかん)させる事件を起こした被告は、無差別殺人計画を立てるに至った「葛藤(かっとう)の6年間」を法廷で明らかにした。(時吉達也)
 起訴状と検察側の冒頭陳述によると、被告は平成17年、大阪の実家近くの公園で面識のない4歳の男児をハンマーで殴り重傷を負わせたとして、殺人未遂の疑いで逮捕された。
 少年院を出所後に通信制高校を卒業。ゴミ処理業者に就職し社会人生活を送っていたが、仕事のストレスなどから昨年8月、無断欠勤し上京した。渋谷のライブハウス「チェルシーホテル」の客らを殺害する目的で、ガソリンやバケツを店内に持ち込み、殺人と放火の準備をしたなどとされる。2月3日に東京地裁で開かれた初公判で、被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
 男児への襲撃事件当時、神戸児童連続殺傷事件(9年)で「酒鬼薔薇聖斗」を名乗った加害男性の写真を持ち歩き、調べに対し「通り魔みたいに大量殺戮(さつりく)をしてみたかった」と供述したという被告。しかし、今回の事件まで着々と凶暴性を磨いていたわけではなかった。同27日の被告人質問は、少年院に入所していた当時を振り返るところから始まった。
 「教官は親身で、生活には規律があった。クラブ活動のコーラスで、音楽の素晴らしさに目覚めた」
 充実していたという少年院生活を終えると、被告は通信制高校に入学。学費に加え、男児側への月4万〜5万円の賠償金をアルバイトで捻出(ねんしゅつ)する一方、無欠席で勉強に打ち込んだ。卒業後、念願だった正社員としての就職が決まったときは、「飛び上がるほどうれしかった」という。
「まっとうに、前向きに生きる自信があった」と、順調に更生の道のりを歩んでいた被告。しかし、仕事を始めて数カ月がたつと、歯車が狂い始める。
 「重機の操作とか、責任重大な仕事を任されるようになり、ついていけなくなった。普段は来ないような大きさの粗大ごみが持ち込まれると、対処方法が分からず訳の分からない行動をとってしまった」
 被告は今回の事件で逮捕された後、精神鑑定で「アスペルガー障害」と診断された。発達障害の1つで、著しい言葉の遅れや知的障害は見られないが、興味・関心が極端に狭かったり、規則的でない作業を苦手とする特徴がある。
 だが、当時は周囲も被告自身も、アスペルガーの認識はない。父親に相談すると「自分も口べただったが、今では(営業職で)トップセールスになった。お前は病気なんかじゃない」と叱咤(しった)激励され、さらに孤独を深めたという。
 私生活の充実も、ままならなかった。SNS(ソーシャルネットワークキングサービス)を通じ、数人の友人をつくる努力もしたが、「(少年時の)事件の負い目で、いたたまれなくなった。『こんないい人と付き合って申し訳ない』と、付き合いをやめた」。生きる喜びを与えた音楽からも、気持ちが離れていく。「ギターも、カラオケもうまくならない。仲間を作れず、バンド活動もできない」
 刺激を求め、再び少年時代のように「人の死体や猟奇事件、大量殺戮の映像」にのめり込み、残虐な犯行への妄想を膨らませていった。特に興味をひかれたのは、大阪・池田小や東京・秋葉原の無差別殺傷事件だったという。
 「大勢を殺して死刑になりたい。投げやりな動機に共感した。彼らの絶望、孤立、えん世観を理解できた」
自殺や殺人の願望が高まる中、事件の2、3カ月前には少年院時代の担当調査官に直接会いに行き、正直に悩みを打ち明けた。それでも、日々の生活に戻れば苦しみは増すばかりだった。
 そして、昨年8月中旬。お盆の繁忙期に休暇を取ったことや業務の習熟が遅いことを上司に叱責されたのを機に、一気に破滅への道をたどっていく。「私は更生できませんでした。せっかく私の更生を願ってくれたのに、申し訳ありません」。退路を断つため、かつて重傷を負わせた男児の家に手紙を送った。「不安な時は、いつでも会って話す」と親身になってくれた担当調査官にも、連絡はしなかった。「相談すれば、気持ちが揺らいでしまう。余計な心配をさせたくない」
 弁護側の質問は、家出から犯行までの経緯に移っていく。
 被告「まず、現職の法務大臣を殺すことを考えた。次に、生年月日が一緒の有名人を殺そうと思った」
 弁護人「当時の大臣は江田五月さんですね」
 被告「私は死刑制度に賛成だったが、死刑執行命令を出していなかった。殺害すればシステムを変えられる。一種の行政テロで、自分もすぐに死刑執行してほしかった」
 弁護人「一般の人が大臣に会うのは難しいのでは?」
 被告「実行できるとは思わなかった。空想じみている。だから、ランクを落としてその有名人を殺そうと思った」
 夜行バスで東京に到着した被告は、通行人を包丁で刺す通り魔も試みたが、「臆病(おくびょう)者だった」と断念。最終的に狙いをつけたのは、この生年月日が同じで被告も熱心なファンだった人気女性歌手が上京後、初めて公演したライブハウスに放火することだった。
弁護人「なぜライブハウスを狙ったんですか」
 被告「音楽への『復讐(ふくしゅう)心』。音楽で有名になりたかったが、才能もない。音楽業界にショックを与えたかったし、その人(女性歌手)もショックを受けるだろうと思った」
 当時、ライブハウスではインターネットの動画サイトの愛好者らが集まり、カラオケなどを楽しむ音楽イベントが行われていたという。結局、犯行は実行前に露見し、取り押さえられた。
 「最悪と思った。火も付けられず、情けない。まぬけ。ふがいない。だっせー。未遂が一番嫌だったのに…」。
 被告は現在の心境について、反省と更生の意志を一貫して否定していく。
 弁護人「ライブハウスの経営者や、ガソリンの臭気で搬送された人たちに対してどう思いますか」
 被告「まあ、この世界は不条理。運が悪ければ被害に遭うのは仕方ない。冷たい目で見ている」
 弁護人「被害弁償の考えは?」
 被告「更生する気がないので、払いたくない」
 弁護人「今回の事件で、無期懲役や死刑はない。社会に復帰した後はどうしますか」
 被告「全く考えていない。更生してまじめに生きて、何のメリットがあるんだ。ばからしい」
 弁護人「なぜ更生意欲がない?」
 被告「自分は社会で生きる価値がないクズだから。生まれたのが間違いだったと思っている」
弁護側に続く検察側の質問で刑務所出所後の生活について改めて問われ、「自殺が簡単。または再犯して刑務所に戻るか」と答えた被告。今回の事件について「茶番劇だった。『2時間の長編映画』にするつもりだったのに、『10分のコメディー番組』になってしまった」と吐き捨て、被告人質問を終えた。
 何の落ち度もない人々を恐怖に陥れた罪は重く、「更生意欲がないから謝罪しない」という態度は身勝手でしかない。しかし、被告人質問からは「社会に認められたい」ともがき続けた、被告の葛藤も浮かび上がった。
 「少年院時代に感じた人生の素晴らしさ、生きる尊さ、自分の大切さ。すべて、幻を見せられただけだった。社会は閉鎖的でシビアで、冷たく退屈だった」。論告求刑公判は5日午後1時半から開かれる。将来社会復帰するであろう被告が、みたび犯罪者となる事態が起きるとすれば、それはあまりにも哀しい。
以下私見です。
発達障害者支援法ができてから教育関係は特別支援として大きく、そして早く動きました。
しかし…、義務教育を既に終えた青年、成人期の方たちの支援体制は正直悲しい現実があります。
佐賀県が先陣を切ったのはバスジャック事件や佐世保の小学生の事件があったからだと聞いています。
何かあってからでは遅いんじゃないのですか?
では、どうするか?
大人が最低限の基本的な対応等、きちんと勉強するのみだと私は思います。
この命が尽きるまで、私は彼らとともに社会の矛盾と戦い続けたいと思っています。
『みんなが幸せになりますように…』