明日は県大会!
沢山の戦友や憧れの方々と再会してきます。
必ず写真をアップします。
そんな前日の今日、ある講義を聴いて来ました。
講師の精神科病棟の院長先生はこの3月まで仕事で大変お世話になった方でした。
内容の素晴らしさはまた後日お伝えしますが、講義後挨拶できた事や、
偶然普段お世話になっている保護司会の先生方が共催団体として数名いらした事等、
何か不思議なご縁を感じた時間となりました。
明日もそんな時間となりそうです…。
頑張ったみんなの思いが報われますように…。
※全然別の内容となりますが、阿部敏郎さんのブログを転載させてもらいます!
2012年07月17日
無の力
昨日、我が家の瞑想会夜の部に参加した田中健太郎君。
本人が実名でコメント欄に参加してくれているから、ここでも実名でいいよね。
実は僕は昔から格闘技に興味があってね。
というのも、ボクシングヘビー級の世界チャンプの中には、引退後宣教師になったりする人がいたりして、彼らは試合中に何かを見ていたり、感じていたりするんじゃないかって、そこに興味があったわけ。
でも周囲にそういう知り合いがいなかったから、ずっと僕の中では仮説に過ぎなかった。
それが、田中君が瞑想を始めたことで、やっと直接その話を聞くことができた。
田中君は極真空手・90キロ級の世界チャンプ。
このクラスの日本人チャンプは珍しくて、彼のことは僕の潜在願望が引き寄せたと思っている。
極真の試合は命懸けなので、きっと彼も試合中に不思議な体験があったのではないかと、そのあたりを単刀直入に聞いてみた。
やはり答えは思っていた通りだった。
試合に勝った時、それは自分の力ではないと感じるのだそうだ。
自分以外の何かが、自分の体を乗っ取って、普段ならできないことが起きるそうだ。
だから勝ったのは自分ではなく、未知の力(神?)のおかげだと心底思うのだとのこと。
しかもその力が作用するのは、勝ちたいという思いを捨てて無心になったとき。
要は、勝ちたいという自我の思いが消えて、自然体になりきった時に起きるのだそうだ。
そもそも空手とは、力で相手を打ち負かすことではなく、相手との調和をとる中での術だとのこと。
発祥は沖縄で、当時沖縄は薩摩藩の植民地下にあり、武器をすべて放棄させられた状況下で、護身用に生まれた武道だ。
しかも、沖縄の女性が最初に作ったのだと教えてくれた。
沖縄女性は情に厚く、しかもどんな苦境の中でも笑顔を失わずに乗り越えていくたくましさを持っている。
これは10年以上沖縄に暮らし続けて思う、率直な感想だ。
女性性は本来、相手を打ち負かすというスタンスにはなく、だからその術は、相手といかにひとつになるか、相手といかに調和するかが基本になっている。
この話は興味深く、これからの世の中にとって非常に重要な点なので、もう少し研究を重ねてみたい。
空手に限らず、多くの武道、あるいは「道」と付いたものはすべて、ひとつの境地に達するのだと思う。
それは無心になり、自分を空っぽにして、彼方なるエネルギーを通す、中空の竹になること。
格闘技には野蛮な側面もあるが、その奥には神に通じる深遠な教えが含まれているように思う。
本当の強さとは何か、そのことを学ぶ道のような気がする。
田中健太郎君のことは、興味がある人は「極真空手 田中健太郎」で検索するとたくさん情報が出てくる。
その中に、ヨーロッパのカリスマ的K1ファイターとの試合もアップされている。
内容は、相手が反則中の反則である顔面パンチを繰り返し(普通の人なら一発で即死だと思う)、結果田中君の反則勝ちになるのだが、見ていてとてもやりきれない気持ちになった。
ガチンコの極真空手といえども顔面への攻撃は禁止されているし、もちろんその試合も同様だったので、想定外の攻撃にディフェンスをとることができなかったのが明白に見て取れた。
そのことも本人に聞いてみた。
よほど理不尽な思いが残り、相手への不満もあるかと思いきや、まったくそうではなかった。
相手の反則が、故意ではなく、ギリギリの状況下で繰り出されたものだと分かるのだそうだ。
しかし映像を見る限り、どうしても故意に見えてしまうので、ツッコミを入れてみたが、田中君は故意ではないことを確信している様子。
当事者がそう確信するのだから、そうなのだろう。
ひとつ考えられるのは、相手が田中君を異常に恐れていたのではないかということ。
そのことも田中君は同意してくれた。
極真の世界チャンプがどれほどの破壊力を持っているかは、すこし格闘技に興味を持っている人なら誰もが知るところだろう。
さてその田中君、実像は優しいなんてもんじゃない。
本当の強さは優しさだと証明してくれている。
以上です。
Don't thnk feel …