不謹慎な話ですが…。

第1話『全部出ました…。』

昨晩、以前勤めた職場で担当していた知的障がいの方のお通夜に行って来ました。
久しぶりに会うお母さん、永遠の眠りについた大切な方…。
涙は出ませんでした。
生き切ったよね…。
ずっと、守ってきましたよね、お疲れ様(お母さん)…。
そんな思いが込み上げていました。
出発前の状況として、日中、私と新任職員で男性陣を対応。
少しばてて疲労を感じていたので、帰宅途中でコンビニに寄りました。
菓子パンを2つ食べ、サンドイッチまで…。
帰宅すると、ミスタードーナツがありました。
それもほう張り一路お通夜に…。
帰宅は22時前でした。
遅い夕飯、とどめの深夜の菓子パン…。
本当に疲れていました…。
今朝は遅番勤務前に20分ですが、日焼けを決行!
我が家のベランダです。

それから出勤しました(苦笑)。
それはそれ…。
目覚めのゼロコーヒーを飲んだ後、朝食の後、日焼けの後と今朝は3回お通じがありました。
身体が昨日むやみに食べた余分な物を拒否してくれました。
おかげで、昼前にはお腹が減る始末でした。
悲しい時、辛い時、私は食べる方に向かいました。
減量中なのにです…。
いろんな思いを胸に刻み、今日も、これからも私は知的障がいの方々と向き合っていきます…。

第2話『これが現実です。』

昨日の時事通信の引用です。

発達障害者配慮なく=避難所入れず物資困窮―家族ら「無理解を痛感」・熊本地震

熊本地震では、自閉症など発達障害を持つ子供やその家族の多くが、トラブルを恐れて避難所に入れず、車や自宅での生活を強いられている。行列に長時間並べず、食料や水の配給すら受けられない人も。
東日本大震災で同様の問題が多発したため、厚生労働省などは必要な対応をパンフレットにまとめたが、教訓が生かされたとは言い難い。
被災による環境変化に対応できない発達障害の人は、共同生活になじめずパニックを起こしたり、大声を上げたりすることがある。
制止や叱責が混乱を助長する場合もあり、周囲の理解と支援が必要だ。
「『物資が欲しければ避難所に入ればいい』と門前払いされた。入れないから苦しんでいるのに」。
発達障害の息子(15)がいる熊本市の岡田丈二さん(50)は悔しそうにつぶやいた。
16日未明の本震でライフラインが止まったが、地震におびえ落ち着きをなくした息子を見ると、周囲への迷惑が不安で避難所に行けなかった。
自宅の備蓄が底を尽き、助けを求めた避難所で掛けられたのは「一人一つ、平等なので欲しければ並んでください」という言葉。
息子連れで長時間並ぶのは不可能で、手ぶらで自宅に戻った。 
同じ境遇の人から相談を受けた古木満雄さん(63)は、発達障害を持つ次男を施設に預けて支援に奔走。
同市の支援センターに掛け合い、何とか回してもらった物資を障害者のいる家庭に配った。
センターもそこで問題に気付き、ようやく21日に物資を受け取れない人向けの配給を始めた。 
「誰も避難できず、じっと我慢していた」と振り返る古木さん。
避難所でパンフレットを見せて説明しても取り合ってもらえず、「普段以上に理解のなさを痛感した」と話した。
「張り詰めた中で問題を起こせば地域に住めなくなる。避難所に入れない自分たちはどこにいけばいいのか」と話すのは、
自閉症の娘を持つ益城町の玉作恵子さん(58)。
過去の台風や防災訓練でも全く対応がなく、「高齢者らと同じ配慮の目を少しでも向けてほしい」と訴えた。 

今日たまたま『あの日、私は…』というNHKの番組を見ました。
東北のある病院の元職員さんが透析患者を抱える病院の現実を語っていました。
避難勧告があった時、患者さんを置いて避難しないと決断したそうです。
地域で避難状況を確認しに回ってきた方(行政機関?)に「死んでもいいんですか?」と迫られ、
「死んでもかまわない!」と即答したという事、
透析患者さんの避難を見届けてから自分たちが避難した事、
ムリに避難させてしまった患者さんたちの死期を早めてしまったのでは?という後悔…。
その方は最後にこう断言していました。
「理想的な避難はない。(透析患者さんの)避難はむりだと思う。」

東北に続き熊本が、日本のみなさんに生きるのに大切にする人としての『軸』について問いかけています。

みんなが幸せになりますように…。